はじめまして。
≪感情解放 やさしい自己肯定感アップセラピー≫
心理セラピストの神田晃明(かんだこうめい)です。
現在、私は自身の経験から
・アダルトチルドレン
・愛着障害
・人間関係(仕事、家族、恋愛、友人)の
ストレス
・自己肯定感が低い
など、自己否定ばかりで
心のバランスがとれなくなってきた方の悩みを
解決に導くセラピストとして活動しています。
なぜ、私が心理セラピストになったのか
そこにはこれまでの私の半生が大きく関係しています。
20年にわたる自己否定ばかりの自分と向き合い
心の声を聴くことが、焦りや不安、自分責めからの解放につながりました。
私が経験してきたことが、みなさんのお役に
立つことも多々あると思っています。
とはいえ
悩み解決にはセラピストとの相性が大切です。
文章からでも私の人となりを
知っていただければ幸いです。
詳しいプロフィール
母の顔色や機嫌を常に伺う「いい子」だった幼少期
東京都葛飾区生まれ。
街の電気屋を創業した父と母、姉の4人家族。
自宅がお店で
父と母はいつも一緒だったので
思ったことをすぐ口にする母は
父と口ゲンカばかり。
私は目の前で両親が言い合う姿は
嫌で嫌でたまりませんでした。
そのせいか、私は幼少期の頃から
何か言われないように、怒られないように
特に、母の顔色や機嫌を常に伺う
いわゆる「いい子」でした。
「正解」を探してそれに合わせる子
小学生になっても
母からはことあるごとに
「ちゃんとしなさい」
と言われ、ある朝、寝坊した際は
「どうしてそもそも昨日早く寝なかったの?」
と根本を正されていました。
私は
「なんか寝つけない日だってあるのに、、、」
と思いつつも、そう言われると
ぐうの音も出ませんでした。
そうした積み重ねで
私はいつの頃からか、「正解」を探して
それに合わせる子になっていました。
大学受験に失敗し、落胆
大学受験では、自分は何がしたいのか
はっきりしていなかったので
偏差値で選んだ大学を受けました。
しかし、受かったのは滑り止めの大学だけ。
高3の夏にバレーボール部を引退してから
塾に通ったとはいえ
自分なりに結構勉強していたので
結果はとても残念でした。
「滑り止めだけど
合格したんだから大学に行くか、、、」
と、一旦は思いましたが
結局、浪人することになりました。
就職活動でも自分の気持ちに蓋をしていた
大学4年間は勉強そっちのけで
テニスサークルと居酒屋のアルバイトに没頭。
就職活動でも
自分が何をしたいのかわからなかったので
周りの友人が目指していた商社や銀行を
受けたがなかなか決まらず。
受験勉強を通じて
こっちの方が早い、とか、これが正しい、とか
効率や論理ばかりを優先してしまい
自分の感情に蓋をするようになっていたのです。
結局、最後まで志望動機は
うまく話せませんでしたが
1つの銀行だけが私を採用してくれて
就職浪人にならずに済みました。
調査部に異動後、過酷な自分責めが始まる
銀行に入り
最初は支店の法人営業を担当。
ありがたいことに
同期300名中15名の研修生に選ばれ
本部の調査部に異動することに。
しかし、これが、これから長きに渡る
私にとっての悲劇の始まりでした。
異動した調査部では
融資先の事業力をレポートにまとめることが
主な仕事。
「正解」を探して
それに合わせるクセがついていた私は
どういう文章が正解なのかわからず
「何をどう書いたらいいのか、、、」
途方に暮れてしまったのです。
文章力を上げようと、本を貪るように読み
毎朝6時に出社したものの
上司からはことあるごとに怒られ
できない自分に絶えずダメ出しをするように
なりました。
上司の怒鳴り声で心のバランスを崩し、常に不安に
やってもやっても正解の文章がわからない。
いろいろ調べて、なんとか文章を絞り出しても
上司からは真っ赤な添削が戻ってくる毎日。
「なんでうまく書けないんだろう、、、」
「こんな自分じゃダメだ、、、」
「でも、苦手なことでもやり続ければ
きっとできるようになるはず」
そう自分に無理やり言い聞かせていましたが
ある日、上司からすごい大声で怒鳴られた瞬間
ここまでどうにか頑張ってきた心が
ポキっと折れ
とうとう心のバランスを
崩してしまったのです。
食事もあまり喉を通らず、自分の考えも
言わなくなり、些細なことも決められない。
休みの日に車を運転していても
右折や車線変更の際、本当にできるのか
不安で仕方がないほどでした。
また、銀行には「失敗は出世に響く」
という減点方式の文化があったので
「この調査部で烙印を押されたら
まずい、、、」
そんな思いも、過酷な自分へのダメ出しに
つながっていました。
転職するも自分責めに拍車がかかり、めまいで寝込む
30歳になり、環境を変えれば
自分への見方が変わると思い
企業の組織変革を促す
コーチングの会社に転職。
入社して1年はよかったものの
営業の際、お客様との関係がうまくいかず
大声で怒鳴られたのをきっかけに
銀行時代のことがフラッシュバックする。
コーチングには
「いま目の前に起きていることは自分のせい」
という自責の考えがベースにあるので
「仕事がうまくできないのは知識が全然足りないから」
「こんな自分じゃダメだ、もっと頑張らなきゃ」
と、さらに自分を駆り立て
自分責めに拍車がかかりました。
いつも不安ながらも
周りに「助けて」と言えず
そのうち、ついに
真っ直ぐ歩けないぐらいのめまいに襲われ
2週間、寝込んでしまったのです。
その後、見えない世界に興味が湧き
呼吸法や気功を学び、実践したものの
根本的な解決には至りませんでした。
再び転職も上司と折り合わず、不安と焦りの毎日に
再度、環境を変えれば
何かが変わる、と期待し
未経験だった
保育園を運営する会社の人事部に転職。
しかし、労務や人事制度運用の仕事が
経験不足からうまくいかず
コンサルティング会社出身の上司とも
考え方やコミュニケーションの仕方が
まったく折り合わず。
「なんで上司はこんな言い方をしてくるんだろう」
「それは自分の伝え方がいけないのかもしれない。変えなきゃ。」
と、またもや自分責めの毎日に。
不安や焦りでどうしたらいいかわからず
連日、帰宅して妻に相談したものの
再び、心のバランスを崩すことに。
突然の父の死で自分を惨めに感じる
そうした中、電気屋を営んでいた父が突然倒れ
1ヶ月後に亡くなりました。
お葬式の喪主として挨拶を考えていた際
改めて、父の人生を振り返ってみると
「父は小学生で真空管ラジオを作るぐらい
機械いじりが好きで電気屋になった」
「夜も自分の好きなカラオケや機械いじりを
する毎日で幸せな人生だっただろうな」
と。でも、自分は
「20代の頃からずっと心のバランスを
崩してばかり、、、」
「なんでこんな自分になって
しまったんだろう、、、」
と、惨めな気持ちになり、自己肯定感もどん底に。
そして、これまで自分の気持ちに蓋をして
常に上を目指して自分を責め
世の中で言われている
いい大学に入って、いい会社に入りましたが
それは「自分にとって幸せじゃなかった」
ことに気づいたのです。
心理療法を学び、ゆったりと幸せな毎日に
「こんな自分はイヤだ」
「自分を変えよう」
そう思った私は、これまで心理系の本は
何冊か読んでいたのですが
体系立てて学びたいと思い
心理療法(心理カウンセリング)を
学び初めました。
学びを深めていく中で
これまでの人生がうまくいかなかったのは
自分の外側にある
「正解」を求めてばかりで
自分の内側にある
「感情」をないがしろにしている
からだとわかりました。
そこで、自分自身を受け入れ、自分を満たす
ことに注力しました。
はじめは、これまで成功を収めてきた
努力や頑張りというやり方を手放すと
自分がなくなってしまうのではないか
と、とても怖かったのですが
これまでのクセを直すつもりで
自分の心の声を聞き
感情を大事にして行動することで
自己否定しなくなり
焦りや不安感も減って、自己肯定感も上がり
毎日ゆったりとした気持ちで
幸せに過ごせるようになったのです。
そして、心の声を聴くことで
焦りや不安、自分責めから解放され
ゆったりとした気持ちで
幸せを感じられるようになるセラピーを
したいと強く思いました。
こうした、これまでの体験や学びの末に
生まれたのが
「感情解放 やさしい自己肯定感アップセラピー」
です。
もっと自分らしく、楽しく働ける世の中にしたい
現在は
・アダルトチルドレン
・愛着障害
・人間関係(仕事、家族、恋愛、友人)
のストレス
・自己肯定感が低い
過去の自分と同じように
努力や我慢、忍耐ばかりで自分を責めてしまい
心のバランスがとれなくなって
人生がうまくいかない
そうした方を
「感情解放 やさしい自己肯定感アップセラピー」
を通じて、サポートさせていただいています。
1人でも多くの人が
毎日ゆったりとした気持ちで
幸せに過ごしてほしい
努力や我慢、忍耐ではなく
もっと自分らしさを活かして
楽しく働ける世の中にしたい
そんな想いで
日々、活動しています。
もし、あなたが少しでも
「変わりたい」と思っているなら
勇気を出して、一歩踏み出してみませんか。
私との相性を確認する意味でも
ぜひ、お試しセッションにお申し込みください。